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2018/7/8 千葉公園にて)

大賀ハスの名前の由来になった、植物学者でハスの権威者で
もある大賀一郎先生のエピソードは有名ですが、あの広大な
千葉市の東京大学検見川総合運動場で、たった一粒の古代蓮
のタネを発見した一人の「女子中学生」。開花した一粒の発
見者である、ボランティアで参加した、この現花園中学校の
偉大なる無名功労者の「女子中学生」はいらっしゃるのでし
ょうか。現在は多分80才くらいになられているのではないで
しょうか。当時の新聞を探しても分かりません。
この一粒の発見こそが、今や広く世界に咲く大賀ハスの影の
功労者、この「女子中学生」この方をご存知ありませんでし
ょうか。絵本のサイドストーリーとして、調べています。 
(2017年のブログより)

今年この「ハスの*女子中学生」が少しわかりました!!
千葉公園にある大賀蓮記念碑、この記念碑にも第一発見者は
全く記載されていません。ところが昭和58年7月18日のこの
石碑の除幕式には、28歳になった元中学生が招待されて、除
幕の綱を引いているのです。どんな思いだったのでしょうか。
(生涯学習センター 大賀蓮展に掲載の写真より)
そしてついにこの女性のお名前が! 大賀博士の発見時の手帳
の写真が展示されていて、この中学生のお名前が発見者とし
て記載。小さな文字で、「3/30日夕刻17:10頃◯◯◯◯◯
さん発見、(古蓮実) 長さ1cm、重さ0.6g」とあります。
私は大賀博士をリスペクトしておりますが、同時に第一発見
者が見つけた「最初の1粒」のみが開花に成功した経緯から
も、この最初で最後の1粒がなければ「大賀ハス」は咲かな
かった。第一発見者の元中学生「西野」様。(フルネーム略)
ハスの権威の大賀博士の功績の陰で全く名前が出ない中学生。
この大発見がまずありで ハス名もNISHINO-OGA LOTUS
にすべきであると考えております。 「お元気でしょうか」
ぜひ発見時のお話を伺えませんでしょうか。  Hiro*land


大賀ハス (オオガハス/おおがはす)は、1951年(昭和26年)千葉市
検見川(現千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある東京大学検見川厚生
農場(現・東京大学検見川総合運動場)の落合遺跡で発掘された。
今から2000年以上前の古代のハスの実から、発芽・開花したハス
(古代ハス)のこと。1951年(昭和26年) 3月3日から地元の小中学生
や一般市民などの、ボランティアの協力を得てこの遺跡の発掘調
査を行った。調査は困難をきわめめぼしい成果はなかなか挙げら
れなかったが、翌日で打ち切りという30日の夕刻になって花園中
学校 (3月31日迄は 千葉市立第七中学校)の女子生徒により地下約
6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され、予定を延長し4月6日に
2粒、計3粒のハスの実が発掘された。大賀博士は 5月上旬から発
掘された 3粒のハスの実の発芽育成を、東京都府中市の自宅で試
みた。2粒は失敗に終わったが3月30日に出土した1粒は育ち、翌
年の1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪の花を咲かせた。
(注: Wikipediaによる)

大賀蓮記念碑の碑文
昭和26年3月千葉検見川東京大学グラウンド地下より発見された
3粒の蓮の実はハスの権威者大賀一郎博士に依り約 2000年前の
ものと鑑定され、その年の5月に発芽し、翌年7月18日見事に開
花した。その後此処千葉公園に移植され、毎年薄紅色の美しい花
を開いている。また此処から世界各地にも贈られ、友好親善を深
めている。この蓮の永久に生命あらんことを念じてやまない。
千葉蓮の会会長(原文記載)
2018/07/14(土) 16:10 生活・情報 PERMALINK COM(0)
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